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家事を「満足へつながるもの」と捉え直す

家事を煩わしいものと思い込んでいる。

先日友人と、夕食後の食器の片づけがめちゃくちゃ面倒だと意気投合した。とはいえ、次の日の朝に流しに食器が置かれたままではげんなりするし、床に塵ほこりがあるのにも許容範囲があり、それを避けるために消極的に家事をする。

さらに自分は、家の中に譲れない場所があって、気はすすまないがやるときは自分でやりたい、と譲らないので困ったものである。(でも譲らない)


先日拝読したブログの中に、"不満の解消はそれ自体が満足へと繋がるもの"とあった。

www.external-storage-area.com


そこで私は考えたのであるが、家事というものは、もう正に、「不満の解消」の要素が大きいということだ。

たとえば、食器を洗わないでいたら、次に食事をするときに食器が使えない。見た目が良くなくて気分が害される。衛生面も問題がある。

しかし食器を洗うことで、その不満を解消し、満足をつくることができる。

(不満)食器が次に使える状態にない→(満足)食器が使える状態になる
(不満)食器が置かれていると流しの見た目が良くない→(満足)流しの見た目が良くなる
(不満)洗っていない食器をそのままにすると衛生面に問題がある→(満足)衛生面が整う


床の塵ほこりの掃除をしなかったら、触れたものにも塵ほこりが付いて清潔ではないし、身体への影響もある。そして同じように、掃除をすることでそれらは解消される。


おそらく私の気がすすまないのは、大半が片付けと掃除である。

「片付けや掃除をしたら、きれいになって気持ちが良い」に加えて、「片付けや掃除をしたら、満足を得ることができて、それは幸福につながる」くらい大げさに考えると、家事が「煩わしいもの」だけではなくなる。料理や洗濯、家の手入れなど他の家事もまた然りだ。

家事を「満足へつながるもの」と捉え直す。
使った食器と塵とほこりという不満が、満足をつくるアイテムに見えてくる。