語る、また語る

いつもにプラスα

 本サイトのリンクから商品を購入すると、本サイトに収益の一部が還元されます。

率直に告げることを狙う

顔見知りのなかでいわゆるマナーが守られていない様子を目撃したとき、それを告げる人は親切なのかもしれない。この先もマナーを守らずに周りに迷惑をかけることが続くより、これを機会にきっかけを断ち切ることができたらお互い暮らしやすくなるからだ。好んで迷惑をかけたい人はこの限りではないが、誰しも周りに迷惑はかけたくないと考えるものである。

とはいえ自分が告げる人かというと特別そういうわけでもない。告げたいけれど告げなかった、勇気がなくて告げられないこともある。できるならそうしたいと思っているくらいだ。家族にはこれでもかというくらいのときもあるが、それはあくまでも家族だからである。

反対に告げない人もいる。そもそも関心がないことかもしれないし、自分がしなくても見かねた誰かがやると考えているかもしれない。

自分が誰かに告げるようとするとき、遠回しな言葉を使うことがある。

たとえば少し大げさなたとえであるが、道の中央に物を捨てている顔見知りの人を見たとする。おそらく自分はまず「そこに捨てると人が通れないですよ」と声をかける。これだと弱い。じゃあ人が通れるように端に捨てたらいいのではないかとなってしまう。

あとは「道に物を捨てていいのでしょうか?」と捨てている人に聞くとか、周りの人に「道に物を捨ててはいけないですよね」と話し始める人もいる。そうなるとより弱く、後者についてはそもそも本人に聞こえない、または聞こえていても聞こえないふりをされるかもしれない。

率直に「道に物を捨ててはいけないですよ」の方が相手にわかりやすいだろう。

先日も自分の遠回しの言葉に次いで放たれたもう一人の決定打で、その場が収まったということがあった。私がとっかかりになったとはいえ、その人の率直さに潔さを感じた。


はじめに書いたようにこれらはあくまでも顔見知りのなかのことである。公共にあるときは自分や誰かの身に危険なときを除いて、自分は告げない人だと思う。いざ危険なときにあって告げる人になれるかも、正直まったく自信はない。

また、ちょっとしたことであっても、人目あるところでは相手が気分を損ねるとか、どこで告げるかについて気を揉んでいたりもするものだ。