語る、また語る

いつもにプラスα

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自分の中の言葉を広げる

love letterの和訳は恋文であるが、
ある子どもは「恋歌」と訳した。

彼はletterは手紙と知っていた。
ただ手紙を文ではなく"歌"と考えたらしい。

信憑性を確かめたわけではないが、
中学のころ、歌は"うったえる(訴える)"を
語源としていると聞いた。

自分の相手を慕う気持ちと、
自分が望む相手との関係を伝えるために
綴られるlove letterの目的は、
自分の気持ちを相手にうったえることだ。

恋歌とは、当たらずとも遠からずである。

ちなみに恋歌は、恋の和歌のことで、
平安時代は和歌を送り合っていたのだから、
love letterは恋文であると同時に、
「恋歌」でもあるのだ。

love letterは恋文のことと辞書あるし、
恋文が広く普及している
言葉なのかもしれない。
(今どきlove letterはあるのかは別)

しかしそうだからといって、
個人的に使う言葉も恋文と
決まるわけではない。

love letterを恋歌と考える人がいてもいいし、
恋織とか恋載とかでもいい。


相手に伝わるように
標準的な言葉を使ったり、
それでも独自の言葉を使いたくて
使えるようであれば、
意味の説明をすることもできる。

そして何より自分一人で
思いにふけるときには、
自分がわかればいい部分もある。

自分の中だけで使う言葉が、
必ずしも汎用である必要はないし、
思っているよりずっと、
言葉には自由があるみたいだ。