語る、また語る

いつもにプラスα

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むしろ与えられている

書けば書くほどに調子が出てきて筆がすすむ。しかしどんどん自分しか見えなくなっていくようでもある。

ミヒャエル・エンデ文、佐藤真理子訳「満月の夜の伝説」にこんな一文があった。
(以下、内容についての記述あり)

お前の魂を救ってやろうなどと、思い上がっていた。だが逆に、お前がわたしの魂を救ってくれた。


簡単にまとめると、盗賊を諭そうとしていた隠者は、満月の夜の出来事のからくりに気づかなかったのに、諭されていた盗賊がそれを見破るという話である。

物事を説く側と説かれる側がいつのまにか反対になっていくところが面白かったのだが、痛いところを突かれたような、身につまされたこと強く押したい。


親と子、先生と生徒のように、どちらかがどちらかに教える関係にいると、自分は教える立場なんだというおごりのようなものに染められているときがある。ブログを書いていても、少しでも誰かのためになればと思うあまり自分を振りかざしていて、ああ独りよがりであったと後から思うことがある。

誰かに教えているつもりでも、反対に教わることは多く、教えられるから偉いなどというの思いなどすぐにくじかれてしまう。

ブログを書いていて、自分は何かを与えている気がしたものの、本当にそうなのだろうか。読んでいただいている人たちから与えられていることの方が大いのではないだろうか。それはアクセスがあることや、反応があることによる嬉しさだったり、また読んでいただいている人たちによって書かれた文章を読めるということそのものだったりする。

おそらくそういうことはたくさんあって、それぞれが一方通行ではなく相互通行なのだ。「満月の夜の伝説」を購入しようか本気で迷う。