家族だから、友人だから、知人だから、
仲間だから、つながりがあるから、
その人たちに苛立ってはいけないなんて
ことはないようだ。
苛立ちをどうするかの前に、
苛立つという感情は、
自分に生じた、あるいは生じさせたもので、
悪いものではないと自分に念押しする。
苛立つ自分に罪悪感を持つ必要はない。
苛立ちにどう向き合うか、
そしてそもそも苛立つことを選ぶのかが、
腕の見せ所というわけだ。
難しいけれど、苛立ったときに、
自分のことも相手のことも考慮して、
行動できたら建設的である。
関係とは、他者という相手とつくり、
自分から変えていけるであろう可能性を、
私たちは知っている。