語る、また語る

いつもにプラスα

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遠いほど近い

7月といえば京都では祇園祭がある。一度だけ訪れたことがあって、あの蒸し暑さの中にそびえる山鉾と夕暮れの提灯の灯り、行き交う人たちのことを思い出す。

町内に入り、据えてある山鉾を見物し、観光客と言わんばかりにカメラにおさめ、お守りなどを買うために行列の一部になる。碁盤の目のような路地を少し行けば次々に山鉾が現れ、自分たちがどこにいるかも忘れて歩き回る。知らぬ間に遠くまで来てしまったようで、地下鉄の駅がわからなくなってしまった。

もう十年は経っているであろう大して感慨深くもない出来事も、7月になると感慨深くなってくる。

GLAYの曲で、「あの夏から一番遠くに来たね」という歌詞がある。むかしの思い出が、時が過ぎるにつれてどんどんに遠くなるということが歌われていて、たしかにそうだと思っている。しかし、時間としてはどんどん離れていくのだけれど、心理的な距離はより近くなっていくのではないかと感じたりもする。

それは懐かしさから良いこともそうでないことも、親しめるようになったからか、幾度も思い出していて、それらが自分の中でどんどん大きくなっているからか、いろいろな角度から見て、それにまた新しい意義を当てはめようとしているからかもしれない。

いずれにせよ、またこうして書くことで、遠くなった祇園祭の思い出を近くに思っている。