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今のやさしさは、きびしい~森真一『ほんとはこわい「やさしさ社会」』より~



やれ「おもてなし」などと
いわれるけれど、
そんなに居心地がいい
世の中じゃない気がする。
なおかつ、自分もふくめて、
人に気を遣いすぎてないかとも思っている。

これらの違和感は、
社会のやさしさの決まりが、
きびしいからではないかと
この本は説いている。

やさしさとは

ここでいうやさしさとは、
"人を傷つけないように気を遣う
態度やふるまい"とされています。

そして、やさしさは、
"やさしいきびしさ"と
"きびしいやさしさ"に
分けられるといいます。

"やさしいきびしさ"とは、
相手にきびしく接することで、
そのきびしさはやさしさに
もとづいています。

将来、相手が傷ついたりしないように、
いまは相手にきびしく接して、
反省させたり、ある態度や技術を
身につけさせます。
"やさしいきびしさ"は、
やや古いタイプのやさしさです。

一方、"きびしいやさしさ"は、
現代的なやさしさで、
いま傷つけないように
全力を尽くすことを要求します。

傷つけないようにする点では、
やさしいのですが、
"傷つけたら許さない"という
きびしさがうかがえると
述べられています。

治療としてのやさしさと予防としてのやさしさ

もうひとつ参照されているのが、
大平健『やさしさの精神病理』からの、
心の傷への対処法の違いによる
ふたつのやさしさで、
治療としてのやさしさと
予防としてのやさしさです。

治療としてのやさしさは、
相手につけてしまった傷をことばで
癒すことがやさしさだ、とするのに対して、
予防としてのやさしさは、
相手に傷をつけないようにすることこそ、
やさしさだ、とのこと。

これらを著者は以下のように
まとめています。

やさしいきびしさや治療的やさしさでは、傷はいつかは治るもの、ととらえています。しかし、きびしいやさしさ・予防的やさしさは、傷はいつまでたっても傷のまま残る、と考えているふしがあります。(中略)
 治療的なやさしさには、”ひとはそのつもりがなくても、思いがけずだれかを傷つけてしまうことがある。そのときには、ことばで癒してあげればいい、それがやさしさだ。傷はいつかは治るのだ"という余裕があります。
 それにたいして、予防的やさしさには、その余裕がありません。(中略)しかし、何をすれば相手が傷つくのかを最初にすべて正確に予測するのは不可能です。


不可能なことを要求することから、
「きびしい」やさしさと
いわれるのですね。

たとえば、
相手に配慮しながらの自己主張である
「~が好きかもしれない」といういいまわし、
話しかけてきた人にわるいから、
私語をしてしまう気持ち、
容姿の比較で傷つくことがないようにと、
わざと顔をゆがめて写ることなどが
あげられています。

次は、きびしいやさしさ(予防的やさしさ)が
登場してきた理由を探ります。


参考文献  森真一著『ほんとはこわい「やさしさ社会」』、ちくまプリマ―新書、2008年