語る、また語る

いつもにプラスα

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さっさと虚栄を脱ぐ

鶏か豚か牛か、目玉焼きに何をかけるか張りに盛り上がる。

皮は剥くか剥かないか、くし切りか薄切りか乱切りか、水の量は規定量か目分量か。箱に載っているつくり方をスタンダードにして和やかにまとまり、具材は大鍋におとなしく収まって煮込まれている。

それからも工程の途中で一旦火を止めるか止めないか、水を足すか足さないかなど、あれこれどちらかに決めて、無事に調理を終える。

何人かで集まると、その人や家の料理の文化や作法を知ることができて面白い。どれが正しいとかではなくてどれも正しい。

私適当なんです、と誰かが話し出す。私は料理の緻密さに自信がないので便乗して、料理は不得意なんですと保険をかけまくる。雑です、とか不器用なんです、という声も聞かれる。それらの態度が自分でもほほえましく、初めから周りとのハードルを低くしておいて、何かあったら助けてもらおうという気持ちをまったく隠さない。

自分が不得意と認めたことならば、こんなにも楽に人に頼れるのに、ここは人から得意と見られたいと思って恰好をつけようとしてしまうのはなぜなのか。譲れないプライドとか何とか、そういうものなのかもしれないけれど、せめて内輪のゆるやかな場においては、そんなものはさっさと脱いでしまった方が楽だ。