やらなくて悔やんだことをたとえやったところで、今と同じ未来にはならないかもしれないことを前提にして、それでも過去の自分はやらなかった方を選ぶだろうか。どちらかを選ばなければならないとき、どちらもは選べず、どちらかは選ばずに残すことになる。
そのときはAに違いないとAに進んだが、何年も経って、Bを選んでいたらその先どうなっていただろうと思っているにせよ、それでも自分はAを選んだだろう。
対象の明るい部分だけを見て羨望を感じることがあるように、選ばなかった方を選んだときに"得られなかったもの"を見ないことにして、選ばなかったことを悔やんでいたりする。
"そのとき"どうだったかも拠りどころではあるが、"あとあと"どうだったかというのは、そのことからずっと長く離れてみないとわからない。そうだとしたら、悔やまれていることも一概に悔やまれていることというわけでもなく、何か柔らかい気持ちになるのは気のせいではない。