語る、また語る

いつもにプラスα

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したたる中身

人の"良い"といわれる変化に自らも部分的にかんでいたとき、自分がその人の変化の助けとなったことに自分は感極まったのだろうか。しかし、変化というものはいくらかは外からであったとしても、つまるところ自身の内からもたらされるものだと思う。その変化していく姿またはそれに付随した物語を、目の上のあたりで再生または逆再生しながら、自分の大変だっただろうときの心情もよみがえり、それらが過ぎたことをかみしめている。私はよく自分にうぬぼれているから、人に対してというより自分に対してこみあげていたという方がいいかもしれない。

誰かへのやさしさをまとったまなざしとか、誰かを気遣うふるまいに泣けてくるとき、はたしてそれはやさしさや気遣いを向けられた側に自分が乗り移ったようにして、起こるものではなかったか。もしくは、いつか自分もそのようなものを向けられていたことへの懐かしさから来るものでもあったのではないか。

涙もろいことと、これらは無関係ではないはずだ。