語る、また語る

いつもにプラスα

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「双方の実り」を願う

ここに文章を書いて、置いておくことは、読むかもしれない誰かへの声援のようなものでもある。

たとえば目下を駆け抜けていく走者に、液晶越しに繰り広げられる勝負に、何かを発し鼓舞することがある。別の声援と一体になって、相手には聞こえないかもしれない。というか、まず相手が聞こうとしているかに係っているところもある。物理的に離れているときもある。

当初は、切実に悲観から逃げるためだけに書いていた。しばらく書いていると、文字を通して自分を見つめることなり、いつしか淀んでいる自分のための言葉に変わった。悲観に渦巻いていた自分が聞きたかったことを、むかしの自分に対して書いた。

読んでくださる人たちを身近に感じるようになった。自分も誰かがしたためた言葉を読むようになった。今ここに文章を書くとき、大くは自分の文章を読むかもしれない人たちのことを考えている。自分のための言葉を捻りだしながら、それを読むかもしれない人たちにとっても実りがあるものになれたらという念がある。

だから読むかもしれない人たちの、聞こえるか聞こえないか、聞きたいか聞きたくないかが絡まって、ふと耳に触れるかもしれない声援のようなものなのだ。