語る、また語る

いつもにプラスα

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二つの沈黙を捥いで

新幹線で隣に座った人に話しかけたことがある。たしかその人は名古屋から乗ってきて、乗務員に学生証を見せていたので、この人は同じ学生だと確信して学生ですかと聞いた。いやいや学生証をこの手に持っているのだから学生だろうと、こちらの魂胆が晒されようとそんなものは笑い飛ばせるくらい、私の感情は軽いものであった。数時間弱も話題が続いたのは驚きだが、今なら話しかけるにしても躊躇するだろう。

何よりもう話すことにも疲れてきて、話し始めたものの話を終えてからの無言の時間に耐えられるかがわからない。さっきまで話していて話している状態で慣れているのに、話さない状態になることで逆に心身が強ばりそうである。そもそも、話す割合と聞く割合が同じくらいで心地よく話せるような人そうだという期待とは違って早々にお開きになるようなものなら、もうさっさと席を変えたいとまで思うかもしれない。そしてそういうときに限って指定席を取っていたりしてどうにもできず、デッキをうろうろしてしまうかもしれない。

それでも話す前の沈黙より、話した後に会話が途切れたときの沈黙が勝り、私は今日もその沈黙に心身をこわばらせている。