語る、また語る

いつもにプラスα

 本サイトのリンクから商品を購入すると、本サイトに収益の一部が還元されます。

くるりの「尼崎の魚」は隠れた名曲だと思う

先日の記事にも書いたが、
久しぶりにくるりのアルバムやら動画やらを
聴いたり観たりしていた。

katari-mata-katari.hatenablog.com


むかしの作品から新譜まで
いろいろと手を広げてみたけれど、
やはり一番くるりを聴き込んでいた、
2005年から2006年あたりのものが、
どうも肌に馴染む。

大学を卒業してからは、
とんとご無沙汰してしまっていた。

くるりは岸田さん、佐藤さんの
2人からなるバンドであるが、
新しいメンバーが入っては脱退するという
変化のあるバンドのようだ。

くるりの作品がそのときどきで、
まったく違う雰囲気になるのは、
そういったバンドの環境も
影響しているのではないだろうか。

驚いたのが、2021年まで、
トランペットのメンバーの方が
いらっしゃったということだ。

スカバンドならともかく、
ロックバンドでトランペットとは、
なかなか見ない。

これから先も、
くるりはびっくりさせるようなことを
やってくれそうな予感がする。


ところで、「尼崎の魚」という曲がある。

2006年にリリースされた
初のベストアルバムに
収録されているのだが、
あのころは気にもとまらなかった。

曲順としては、
2枚組の2枚目「Superstar」の後に来ている。

大学生のときは、「Superstar」が好きで、
アルバムでリピートしていたけれど、
「Superstar」が終わって
「尼崎の魚」が始まると、

飛ばして次に行くか*1
軽く流してしっかり聴いたことはなかった。

それが、今になってみると、
ものすごいんですね、この「尼崎の魚」。

緩急とうねり、重厚感のある音が渦巻く、
華麗なるロックチェーンではないか。

イントロから焦らすような繰り返しの旋律。
ベースが肝か。

1コーラス終わっての、
1:50からの間奏は必聴である。

鳴るギターとベースの絡み合いが、
めちゃめちゃかっこいい。

2コーラス後からの間奏も、
初めの間奏が少し軽めに
アレンジされていて、
アウトロにかけても聴きごたえがある。

こちらはライブVer.。


www.youtube.com
歌詞も風刺が効いている。

踏みつぶされたら初めて気づいたよ
僕は弱いんだ
踏みつけられたら意識は薄れてく

僕の身体はあまりにも小さすぎて
陸上で暮らすには困難だ

忘れてしまった自分の細かな寸法も
噛みつかれても毒の回らないこの身体

僕の心はすっかり縮んじまって
肝心の言葉さえ出てこない

海(もしくは川)から陸上に出て、
人間なり動物に踏みつぶされて、
初めて自分は弱いことに気づいた魚。

海にいたときは自分は弱いなんて
思いもしなかった、
いや弱いとか強いとかさえ
感じなかった魚が、
自分以外の誰かに接触することで、
自分を知るという構図。

自分の身体は小さすぎるから、
海で暮らすしかないと
自嘲している。

自分は弱いという衝撃的な事実は、
今までわかったつもりでいた
自分のことも忘れさせてしまった。

噛みつかれても毒が回らない身体という
特長をもっているというのに。

それくらい心が縮んでしまったのだ。

この魚はおそらく人間を表わしていて、
海は今まで自分がいた場所、
陸上は新しく飛び込んだ
世界とでもいえようか。

わたしたちも、未知のことをしたり、
新しい人とつき合うとき、
人とのつながりがこじれたりすると、
傷ついたり、挫折したりして、
自分を見つめ直すことはあるだろう。


でも、この魚は
ただ諦めているわけではないはずなのだ。

今はすっかり自信をなくしているけれど、
きっといつかは立ち直り、
再び陸を目指すのである。

ネガティブな状況を嘆きながらも、
野心を秘めているのである。

だって、そういう音がするから。

調べてみると、
「尼崎の魚」は、1998年リリース、
くるりの1stシングル「東京」の
カップリングということだ。

レベル高すぎですね、くるり

 

 

*1:正確にはその次の「街」も飛ばすことが多かった。もったいない。