語る、また語る

いつもにプラスα

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きっと心に刻まれている

「保育園のこともう忘れた!」

唐突に小学校一年生の長男が言った。

年長組で一緒だったけれど、
小学校は別になった友達の名前も
思い出せないらしい。

そんなものなのかなぁと思いつつ、
小学校の日々は次々に新しいことが
やってくるんだろう。

入ってくるものはそれなりにあるから、
古いものは出ていくものなのかもしれない。

子どもとの暮らしのなかで、
いつも頭の片隅にあるのが、
親は子どもが小さいころのことを
覚えているけれど、
子どもは忘れるんだということだ。

自分を振り返ってみても、
限りなく遡れて5歳のころである。

覚えているといっても、
そのときの風景や見たものが
一枚の写真のように切り取られて
頭に浮かぶような感じだ。
そのときの感情がよみがえってくるかと
いわれるとかなりあやしい。

母と話していて、
「あなたが生まれたころは…」
なんて話になったとき、
「私はそんなこと知らないよ」と返すことは多い。

そんな母もすべてを覚えているわけではなく、
「そんなこと忘れちゃったよ」とあっけらかんと
笑っていることもある。

生まれたころのことを忘れない、
または思い出せる
ドラえもんの道具でもないものか。

でも、忘れるということに
人は助けられていることもまた事実だ。

いいことも、そうでないことも、
やがて忘れていく。
もちろん、忘れないこともある。

だから、長男が保育園のことを忘れるのは、
少し寂しいけれど、
それは、それでいいんだと思う。


夏至を迎え、梅雨も明けて、
ここのところ日が長い。

夜7時を過ぎても明るいと、
なんだか贅沢な気分になる。

いつもと同じように
時間は流れているのだが、
まだまだ何かできそうな気がしてくる。

そんな季節を迎えると、
小学生くらいのとき、夜8時くらいまで、
近所の友達と外で遊んだことを思い出す。

辺りがだんだん
暗くなってくるのを感じながら、
友達の家の庭の土をひたすら掘って、
石を探していた。
石を見つけたら掘り出して、また掘り進める。
たしか近くにお互いの親もいた。

暗くなるまで遊んだこの特別な感じが、
今でも心に残っている理由かもしれない。

子どもたちは、
これから時が流れて大人になったとき、
何を忘れ、何を覚えているのだろう。

たとえ忘れることの方が多くても、
きっと心には刻まれているはずだ。
そういう日々の積み重ねが
自分をつくっていくのだから。