雑記
締切が迫っていようが、お昼近くになって不具合が発生しようが、客先からの妙な問い合わせに頭を捻っていようが、昼休憩はやって来るのである。昼休憩のときにふと懸念を感じて、それについて考え出すともう休憩どころではなくなった。同僚たちと場を合わせ…
そんなに難しく考えなくてもと言われると、意外に思っていた。自分ではまったく難しく考えているつもりはないのに、相手には難しく考えていると取られている。相手はもっと簡単に考えているのかと自分がよくないことをしているような気になった。あるいは、…
文章を書いていても感じるが、自分は「ない」を使う頻度が高い。タイトルをつけて「ない」が入っていたら、これはいけないと思って変える。とはいえ「ない」を使いたくないわけではない。これは以下のような感じである。(5) とても使いたい(4)やや使いたい◁…
自分の何もかもをわかってもらえるような友人がほしいと思っていた。どことなく気が合ったり、共通点があるとすぐに間合いを詰めて、意見がぶつかりそうになると深入りしないようにした。「異」であることは疎外される恐怖に直結していたからだ。どうりで自…
50メートルくらい先から相手がこちらにやってくるときは、どこを見たらよいのだろう。まず、向こうに現れた相手に気づくと会釈したり手を振ったりする。そこからが迷う。そのまま相手を見るのか、相手は視界に入れつつ焦点を外すのか、自分の周りなどまった…
同じようなことを表現を変えて繰り返し書いていると、ここ一年くらいの文章を読んで思った。拝読しているブロガーの方が似たようなことを書いていて、自分は違うはず、とタカをくくっていたけれどそんなことはなかった。新しいものが書けたつもりでも、時間…
納得できないことがあるなら相手に伝えてみると、なんだそんなことかと、案外解決することもある。ある宅配サービスのポイント会員になるには、家族情報(氏名、生年月日、職業)の登録が必要だった。サービスの向上に使われるのかもしれないけれど、抵抗が…
内容に大きな意味はなく、お互いに広げるつもりもなく、その場をつないでいるときにまで真剣にならなくてもいいのにと自分に対して思った。自分としては触れてほしくなくて、反らしたつもりが逆に情報を与えてしまい、相手に突っ込まれる様相になった。こち…
自分の思いを言語化されたような文章に出会うと、まったく同じとはいわないが借りてきてしまって、借りてきたことに気づいていなかったり、同じ言葉を使っているとき。または空間を共にしている人と「しゃべり方」や「口癖」が似てきたとき。言葉を発してい…
テレビが家に来たのは、たしか中学生になったころだった。今はテレビのない家があっても特段珍しいとも思わないが、時は平成の始めである。テレビがないことが「差異」と見られることもあった。狭いところにいた、と思う。小学校に行くと、昨日のテレビの話…
「こうしたい」ではなく「こうしなくては」に沿って思考してきた。「こうしなくては」には、自分ではない誰かの意思も含まれていた。誰かの意思に従っていれば批判されることはないともくろんでいた。しかし画一的な集団から出ると、単純に言うと私の白はあ…
体感だが、自分の大部分を占めるネガティブな感情は「不安」である。次はおそらく羨望、もしくは嫉妬だ。これらはもう趣味の域なので開き直っている。むしろ好意さえ持っている。ブログに散々ネガティブを書いてきて、ネガティブ感情は自分の本音を教えてく…
庭に水仙の白い花が咲いた。秋に植えたチューリップの球根が発芽した。茶色やくすんだ緑色のグラデーションをつくりだしている自然が巡ろうとしている。それらは冬の色だと思われるが、生まれて初めて美しいと感じた。賑やかな春、鮮やかな夏、コントラスト…
発声を変えようとしている。ラジオのパーソナリティが、舞台稽古で演出家に、王の役をするのに語尾が弱いと指摘されたと話していたのを聞いてこれだと思った。不安なときは発声が弱くなり、その自分の声を聞いてますます不安になる。発声がメンタルを左右す…
12月24日と25日は恋人たちだけが主役ではない。しかし、何かこう見えない圧みたいなものがあって、恋人がいないと肩身が狭い感じがしていた。高校生になると家族といても寂しいと思った。友人から、恋人と約束があると聞いてうらやましかった。自分は特定の…
中途半端に負けず嫌いで競争心が強かったのか、むしろ振り落とされる不安がそれらをかき立てていたのか、随分と尖っていたものである。思考は使えば使うほど強くなるという。誰かと比べて悲観的になることが得意になった。誰かと比べて悲観することは辛いこ…
断れる方だとは思っているが、ものによってはあまりあてはまらない。そんな自分の、断れなかったことと断れたこと、そこから考えたことについて書きたいことを書いていきたい。 断れなかったペナルティ 10歳くらいのとき、「好きな人を言う」という遊んだ後…
書きたいことは、むしろそんなに書きたいことでもなかったと思われた年の始めである。年が変わるときに眠りのなかにいるようになって久しい。カウントダウンイベントや初詣、外で過ごしたこともない。深夜に起きていられることに特別感があったころ、年越し…
「ものの見方」によって心に変化を促すことが内からの働きかけならば、外からの働きかけは「行動」であろう。体の不調は心にも影響する。心の不調は体にも影響する。心の方は既にいろいろと試しているため、このほど思い立って、体を変化させることにした。 …
マイナス思考が止まらなく、一瞬この世の終わりのような感覚を持ったが、そんなことはなく、やれることはあった。以前の記事で、思考のスポットライトをネガティブなものに向けるかポジティブなものに向けるかは、自分で決めることができると書いた。ポジテ…
流石十二月、急に寒くなり、朝から暖房をつけるようになった。外から家に入ったときの、生活のにおいが少しこもった感じは、ああ冬だなあと思う。十五夜のころから、ダイニングテーブルの片隅にまるでオブジェのように鎮座していた皿に入った栗で、ようやっ…
中学生だったある夜、ラジオに結構真面目な投稿を送った。私は言わずもがなステレオタイプからものを見ていて、そこにDJは切り込んできた。これこれ(ある属性)だからこうだというのは、自分は違うと考えていると。投稿が読まれた後のことを想定していなか…
朝六時でも日の出前、起きるのが日に日に遅くなる。羽毛布団と毛布の組み合わせに、いつも負けている。ブログ投稿時間が後ろ倒しになる。年末のいろいろもそこそこだが、年賀状だけは別だ。何なら十月からデザインを探し始める。もう十年以上「しまうまプリ…
常識が何なのだ、と思うときもあるけれど、やはり常識にしがみついている。自分にとって悲観的なものでも、その悲観さへの抵抗が、この身を明日へ向かわせている。常識に従うのが常識として漫然と、見ようとしなかった自分の意思を思う。常識は変化するもの…
苛められたことも苛めたこともある。投げつけられる言葉や自分の持ち物に手をかけられることは、悲しく怖いものだった。人に同じことはしないと決めたのに、六年生のとき、友人と一緒になって転校生の靴を隠した。赤いコンバースのハイカット風の靴だった。…
love letterの和訳は恋文であるが、ある子どもは「恋歌」と訳した。彼はletterは手紙と知っていた。ただ手紙を文ではなく"歌"と考えたらしい。信憑性を確かめたわけではないが、中学のころ、歌は"うったえる(訴える)"を語源としていると聞いた。自分の相手…
皆が一斉に何かを送ったり、送られたりする時季である。雰囲気にのまれて、何か準備をしなければいけない気になる。十二月になったから、子どもに何がほしいか尋ねるのがまるで流れ作業のようだし、子どもは誕生日と十二月には何かもらえるとわかっているか…
幼子は私の腹に耳を置き、音がすると伝えてきた。次は左手に耳を置き、また音がしたと笑った。彼は、体中から音がすると感じているようである。それならと心臓の上に誘ってみた。新手の戯れに思えた。人の体は、休むことなく働いている。血が流れている、何…
元職場の同僚と、一年半振りに会ってきた。退職から二年。二年前に移行すると聞いていたシステムが未完だったり、終わる予定だった社内行事が維持されていると聞いた。人の入れ替わりももちろんあった。共に仕事をしていた同僚たちが転職し、入院など体面に…
たとえば、居たところを後にするとき、体が居たところからは"退いている"。しかしそれはまた、どこかに"進んでいる"ことでもある。日も暮れて、各所への挨拶も済ませ、端末と社員証なども総務に返し、いよいよ終わりが近づいてきていた。空になって軽い引き…